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2006年6月16日 (金)

ヤマサンの日本通史PartⅡ~産業革命から幕末維新・その⑤

おはようございます。(今日の起床時間=5:05)

アヘン戦争は確かに日本人に衝撃を与えました。しかしその情報が伝わったのはごくわずかの人間にとどまり(まあ、そですわな)圧倒的大多数の日本人は相変わらず天下泰平のノホホン生活を送っておりました。が、しかし。

とうとう正しい国際認識=「デンジャラスな帝国主義の世の中がすぐそこまで来ている」事を津々浦々に知らしめる事件が勃発いたします。

1853年、4艘の軍艦で乗りつけたアメリカ東インド艦隊のマシュー・ペリー提督は「ワシらに商売をさせろ」という要求を突きつけ、江戸湾で空砲をぶっ放したり勝手に測量をやって言ったりとやりたい放題をしていって帰りました。翌年再びやってきて強引に「日米和親条約」を締結、下田と函館を開港させます。ここに鎖国体制が終焉いたしました。

外交交渉をしにくるのに軍艦で乗りつける。まあ、鎖国中の日本はここまでしなければ話を聞かずにぶっ放してきたに違いないのでいたし方なしかもしれませんが・・・乱暴な話ですなぁ。当時の錦絵をみると人々の恐怖心が良くわかります。「帝国主義」の本質=暴力を背景にした経済活動の恐ろしさが大衆レベルに知れ渡った瞬間でもありました。

幕末維新はここから出発するともいえますが、立場は違えど共通のゴールが設定されました。それは「ヤクザな外国(列強諸国)に食い荒らされたくない!」でした。そのための方法論として当初2派に分かれました。

・とにかく野蛮な外国を従来通り立ち入り禁止にする。やってくる外国船は武力で排除!派

・怒らせると怖いのでとりあえず外国とよしみを結び、敵対するのは避けよう!派

前者を「攘夷論者」、後者を「開国論者」と呼びますが、あくまで違うのは方法論であり、ゴールは共通であったというのがワタクシの解釈でございます。

やがて「攘夷論者」も世界の現実をまざまざと見せ付けられます。世界中を荒らしまわっているヤクザなだけあってその武力も半端じゃない。250年間戦争もなしにノホホンとしてきた日本人が太刀打ちできる相手ではなかったのです。(長州←下関戦争 薩摩←薩英戦争)

そこで「攘夷論者」も必然的に「開国論者」に鞍替えすることを余儀なくされるのですが、その開国論にも2つの方法論が存在しました。

・今までの政治形態=幕藩体制を維持したまま外国の軍事技術を導入し、食い荒らされないための軍事力を持とうとする「護送船団方式維持派=佐幕派」

・300弱の地方自治体を吸収合併し、統一国家を作りその下で統一軍を持ち、その上で食い荒らされないための軍事力を持とうとする「M&A派=倒幕派」

言うまでもなく江戸幕府の体制は300弱の藩からなる「幕藩体制」です。いわば300弱の独立国の連合体とも言うべきものでありました。独立国ですから軍隊もそれぞれが持つものであり、統一の「日本軍」と言うべきものは存在しませんでしたし存在する必要がありませんでした。むしろ「存在させたくなかった」のです。邪魔だから。

しかし事態が事態となりました。300年前のノホホン国際情勢とはさすがに変化し、いつ食われるかわからないデンジャラスな国際情勢となってしまいました。侵略を受けたとしてもそれを裁いてくれるものは存在しませんし(鎌倉幕府以前の武士団の状況みたいですな)侵略の意志と能力を持った外国はすぐそこまでやってきています。

そんな中で土地・人民がばらばらな小国家=藩と言う単位でまとまっている状態というのは侵略しようとする側から見ればとても好都合でした。一つ一つ個別撃破していけばよいのですから。

ヤクザな外国とタメを張るためには統一の軍隊が必要で、統一軍を持つためには「統一国家」が必要なのは冷静に考えれば分かることです。しかし、当事者にとって今まで続いてきた慣習を脱するということはそれ自体大変なことですし、頑強な心理的抵抗感が立ちはだかります。ので、「保守的な改革派=佐幕派」と「過激な改革派=倒幕派」の間で激しい摩擦が繰り広げられました。幸運なことに時代の流れに沿った「倒幕派」が勝利してくれました。

自由競争の時代には護送船団方式から脱却し規制を緩和、競争力のある企業を生み出すことが是とされます。その過程で競争力を高めるための方法としてM&Aがあります。まさしく幕末維新とは「日本を丸ごとM&Aして「大日本帝国株式会社」を設立したようなもの」というのがワタクシの解釈でございます。ですから、維新の本質とは新撰組が活躍した「天誅」と言う名のテロでもなければ大政奉還・王政復古の大号令でもなければ戊辰戦争でもないと思います。それは・・・次回をお楽しみに!

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2006年6月14日 (水)

ヤマサンの日本通史PartⅡ~産業革命から幕末維新・その④

おはようございます。(今日の起床時間=5:00)

アヘン戦争という大義の全くない戦が行われた1840-42年、日本では老中水野忠邦による天保の改革が行われている時世でした。

アヘン戦争の情報はオランダ商館長=カピタンの手によって幕閣にもたらされ、衝撃を与えます。清国といえば当時の日本人にとっては世界最大最強の国であり、その清国がクソ田舎の英吉利に完敗、しかもアヘンの取り締まりに逆切れして仕掛けられた戦争での完敗と言う事態は想像もできなかったことでしょう。

いままで異国(朝鮮・清国・オランダ除く)に対してはやってきたら二念なく打ち払えという態度で来たのが、話の通じない凶暴な輩がいるという事態を考慮し、「薪水給与令」を発して「燃料・水・食料の積み込みは認め、補給が終ったら穏便に帰っていただく」という風に方向転換しました。(但し原則通交禁止は変わらず)

同時に、水野は韮山代官の江川英龍に西洋流の砲術を修めるよう命じます。この江川英龍という人は何気に凄い人で、かの佐久間象山の師匠にも当たる人ですし、当時世界最高峰の軍事技術である「炸裂砲」をほぼ独力で開発し、また有名なところでは領土の韮山に反射炉を作ったりもしています。(彼についてはいずれ書きたいと思います。)

また、この時期日本沿岸にロシア・イギリスの船がたびたび通商を求めて来航するという事態が発生し、幕府上層部は海防への危機意識を高めます。そこで海岸警備を名目に沿岸地に所領を持つ大名・旗本の領土を内陸部の土地と交換するという「上知令」を計画します。これに大名・旗本は大反対。ついには水野忠邦が辞職に追い込まれることとなりました。

国際情勢の変化により(幕閣の一部ですが)緊張が高まり、外交内政に変化が現れ始めます。こういった状況下でいよいよペリーがやってきます。と言うところで今日はここまで。次回は「いよいよスタート日本改革~護送船団か、M&Aか?」をお送りします。お楽しみに!

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2006年6月13日 (火)

ヤマサンの日本通史PartⅡ~産業革命から幕末維新・その③

おはよございます。(今日の起床時間=5:05)

W杯、初戦負けちゃいましたね。うーん・・・

と言うこととは全く関係なく久しぶりに続きいきますよ~

さて、中国での木綿販売が「南京木綿」と言う競合商品のためうまくいかず、お茶ブームのため輸入超過となり貿易赤字を計上するにいたった大英帝国。貿易赤字解消のために取った「禁じ手」とは・・・皆様察しは着いていると思いますが、阿片の密輸でした。

売れるものがないからってヤクの密輸に走るなんて某「ならず者国家」みたいですが、それを世界に冠たる大英帝国がやってのけているから恐ろしい。銭のためなら悪魔に魂を売り渡すこともいとわない一例といえましょう。恐るべし、帝国主義。

清朝側は取り締まりに入ります。林則徐を欽差大臣(特命大臣)に任命し阿片の取り締まりを強化します。

当然です。

林則徐はアヘン密売商に対して「今後アヘンを持ち込みません」という誓約書を提出するよう迫り、提出しない船には貿易の許可を出さないという措置に出ます。

当たり前の行為です。

が、その禁輸措置に逆切れしたイギリスが真っ当な取締りを行ってきた清朝に対して戦争を開始し、圧倒的な火力を背景に清軍を撃破してゆきます。そして、香港島の割譲・上海等の開港・多額の賠償金・関税自主権の放棄という条件を飲ませることに成功します。

もう、なんだかなぁって感じてす。どう見ても「義」は清朝側にありますが、力がなければ自国民を廃人にされても抗議もできず、反対に領土やお金をむしられるという結果に終る・・・今日でもそうなのかもしれませんが、あんまりにも厳しい国際社会の現実がそこにありました。

ところが、そこまでひどいことをされたにもかかわらず当の清朝で「これはやばい!」と言う危機意識を持った人間は余りいなかったようです。これまでの「夷狄」の侵略(匈奴などの周辺民族の侵略)と同等に捉えていた模様です。図体がでかすぎると神経が鈍くなるのでしょうか。(恐竜みたいですね)

しかし、200年余の「大護送船団方式」で競争もなくのほほんとしてきた日本には強烈な危機意識を与えました。と言うとところで今日はここまで。次回は「大江戸サバイバル大作戦」をお送りします。お楽しみに!

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2006年6月 9日 (金)

ヤマサンの日本通史PartⅡ~産業革命から幕末維新・その②

おはようございます。(今日の起床時間=5:10)

昨日は朝起きて更新しようとしたら「メンテナンス中」とかで書き込むことが出来ませんでした。ということで(?)今日は張り切っていきますよー。

さて、国家の軍事力という「暴力」を利用して機械で大量生産した木綿を世界中に売りまくってきた大英帝国。東へ東へ販売地域を増やしていってついには極東・中国に到達いたしました。

当時の中国は清朝の治世。日本と同様鎖国中であり当初はイギリスの求める「自由な」通商自体なかなか認められませんでした。しかし徐々に南方の沿岸部での通商が認めらられ、張り切って木綿を売ろうとしましたが・・・・思ったほど売れません。これは一体??

実は中国では「南京木綿」という安くて質の良い木綿が伝統的に売られており、イギリス製の木綿の前に強力な競合商品として立ちはだかっていたのです。

ここまで連戦連勝できたイギリスはここであせってしまいます。さらに、本国での紅茶ブームで中国からのお茶の輸入が急増。儲けに行くつもりが反対に赤字を出すこととなってしまいました。何とかしなくては・・・!!!

事ここにいたって大英帝国は「禁じ手」をきってしまいます。このことはワタクシにとって「帝国主義」の本質をよーく教えてくれました。と言うところで今日はここまで。次回は「力なき正義は無力なり!」をお送りします。お楽しみに!

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2006年6月 7日 (水)

ヤマサンの日本通史PartⅡ~産業革命から幕末維新・その①

おはようございます。(今日の起床時間=5:05)

さて、時を150年、場所を5000kmほど移動しまして18世紀のイギリスでございます。炭鉱採掘の際に出てくる湧き水の排水ポンプ用に開発された蒸気機関。これが様々な応用を見せ始めます。中でも機械を動かす動力源として紡績機械に、船を動かす動力源として蒸気船に応用され、木綿の生産力と物資の運送力を飛躍的に高めました。

また、この時期イギリスの主要産物にも異変がありました。それまでは羊毛・毛織物がメインの産物でしたが、この時期から木綿・コットンが主要な産物となりました。肌触りがよく通気性・保温性にたけ、文化の違いはあれどどこでも必要かつ売れる商品として大変重要でありました。これを世界中に売りまくっていたのです。木綿を世界中に売るために、その原材料である綿花を大量に格安に仕入れ、また売りつけるための有利な市場を得るという「一粒で二度おいしい」思いをするために軍隊を派遣して「植民地」を獲得していったのです。このように軍隊の力を背景に商売をすることを「帝国主義」といいます。ヤクザですなぁ。

イギリスの「帝国主義」はアフリカを皮切りにインド・ビルマと東進し、ついには中国(当時の清朝)にまで到達いたします。(インドではコットンを売りやすくするために競合相手潰しの一環として地元の紡績職人の腕の腱を切るといったことまでやっています)ところがそこで予想外の事態が立ちふさがりました。というところで今日はここまで。明日は「コットン商戦 in 南京~あっと驚く奥の手とは?」をお送りします。お楽しみに!

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2006年6月 6日 (火)

ヤマサンの日本通史PartⅡ~産業革命から幕末維新・序章

おはようございます。(今日の起床時間=5;00)

またまた更新に間が空いてしまいました。一重に起きれなかっただけです・・・スンマセン。

と言うわけで今日から心を入れ替えていきますので皆様宜しくお付き合いのほどを。

さて、前回全11回の長期シリーズとなりました「ヤマサンの日本通史」で味をしめ(単に書いてて自分が楽しかった、というだけですが・・・)今日からPart2として産業革命から幕末維新という「日本史と世界史のリンク」について書いていきます。これは何回まで続くかはまたまたワタクシにも分かりません・・・

時は1600年。天下分け目の関が原が東軍の勝利に終り、次いで大阪冬の陣-夏の陣(1614-15)で豊臣家を滅ぼし、幕藩体制を確立させました。「幕藩体制を確立」させた意義としては「自由競争の否定・大護送船団方式体制の出発」であると考えています。

100年以上にわたって続いた戦国の世。多くの武将が起業し、近隣の同業者とシェア争いを繰り返し、ついに「トップシェアの獲得=天下統一」を狙う者が現れ、徳川家康が最終的にトップシェアを獲得しました。その過程で戦が行われてきましたが、戦とは武士にとって「ボーナスと昇給を賭けた経済行為」でありまして、いかに多くの首を取ってくるかで査定され、所領というボーナスをいただいていたのです。

しかし、この経済行為は必ず流血を伴うのが難点でした。(当たり前ですけど)自由競争で経済が活性化するのはいいのですがその背景には踏み荒らされた土地の持ち主・徴用されて戦場で死んでしまった農民といった影が色濃く落ちていました。そんな状態が100年も続くと、集合的無意識レベルで競争に「飽きて」しまったのでしょう。徳川家康に自由競争社会を終焉させ、300弱の中小企業=藩が自分のシェアを守ることのみを義務付け、その代わり企業の存在は幕府権力で保護してあげるという体制が出来上がりました。また、競争を活性化させる・刺激する可能性の高い外国との通商・交通も禁止してしまいます。

以降300年近くこの大護送船団方式は安穏と続いていくことになりますが・・・次回は150年ほど下ったイギリスに舞台を移します。お楽しみに!(っていうか、書いてる本人が一番楽しんでいたりする)

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