ヤマサンの日本通史PartⅡ~産業革命から幕末維新・その⑦
どうも、ご無沙汰でございました。
またまた更新があいたのは無理して早起きしていたからではなく(?)生保業界の7月の忙しさのおかげで精神的に余裕がなかったためでございます。が、昨日で7月も終了(7月分の契約の募集は昨日27日で終了)しましたのでまたぞろ再開いたします。どうぞ宜しくお付き合いのほどを・・・
さて、前回のおさらいから入ります。「明治維新=統一国家作成のために小国家連邦を合併統一する事業」と規定し、さらにこれは明治維新が初めてではないということを書きました。では前回はいつ?と問われれば・・・
ワタクシも愛読しているブログ「平太郎独白録~親愛なるアッティクスへ」にも書かれていましたが、日本と言う国はほぼ600年周期で外国からの脅威にさらされるのだそうです。幕末維新の600年前は元寇があり、そのまた600年前には白村江の戦いがありました。元寇の際には北条得宗家への所領・権力の集中は起こりましたが統一国家への統合といったところまでは行きませんでした。が、白村江の時期には大化の改新がおこっています。
そもそもこの「大化の改新」、なんだったのでしょう?と問われればほぼ100%の人が蘇我氏(入鹿・蝦夷)暗殺と答えると思いますが、本質は別処にある、というのがワタクシの解釈です。
この時期、朝鮮半島では東の新羅が新興国家「唐」と結んで半島統一に乗り出し、その過程で西の百済を圧迫しておりました。この百済と言う国は日本とは浅からぬ関係にありまして、文字(百仁博士がもたらした「千字解」が日本最古の漢字字典)・土木技術・文化(特に仏教)を提供するのみならず「渡来人」といわれる移民を送り込むなどをしておりました。その百済からSOSが頻繁に日本にもたらされており、このまま行くと百済救援のために新羅とその背後にいる唐と戦争になる危険性が高まっている、という国際情勢にありました。
そんな中、日本では天皇家を中心とした豪族連邦国家であり、天皇家・蘇我氏・大友氏・平群氏・・・といった部族がそれぞれに土地・人民・軍隊を持つという状況であり、その中でも天皇家をしのぐ権勢と富を持っていた蘇我氏は天皇家にとって危険(実際に聖徳太子の息子・山背大兄皇子を抹殺しましたし)であるのみならず、イザと言うときにわがままを言われれば軍隊の結束を乱し、敵に付け入る隙を与えるという意味での危険性も孕んでおりました。
外の軍事的脅威に対抗するためには統一軍が必要で、そのためには土地・人民を一括管理する統一国家が必要。そのことは特に中国(隋)に留学した元学生を中心に意識され、元留学生の門下生であった中大兄皇子・中臣鎌足がクーデターで当時最大の豪族の蘇我本家を滅ぼし、その翌年の元旦に「大化の改新の詔」を出し、全国の土地・人民の公有化を宣言します。(=公地公民制)
これが「大化の改新」のコアである、とワタクシは考えます。
もっとも大化の改新で打ち出された「公地公民制」は100年足らずで崩壊し、外国との戦争にも敗北(白村江の戦い)するので改新が成功したかどうか、は分かりません。しかしこれがきっかけとなって武士団が生まれ源平合戦で源氏が勝利し武士政権=幕府が誕生する(前回シリーズを参照下さい)のですから、歴史とはなんとも不思議なものでゴザイマス。しかも、この時期に新羅・唐軍の侵攻に備えて九州に築かれた防提=水城が600年後の元寇の際に役に立つのですからはたまた不思議ですね。
600年周期で外国の脅威がやってくるとすれば、次は2400年ごろになるでしょうか?ワタクシはそれを見届けることは出来んでしょうが・・・残念。
というところで今回の「日本通史」Part2は終了でございます。前回よりも長期シリーズになるかと思ったのですが・・・やってみないと分かりませんね、何事も。
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